2015年4月26日日曜日

"かまってちゃん"の境界はどこか?

Lake Okama / 御釜(おかま)
Lake Okama / 御釜(おかま) / TANAKA Juuyoh (田中十洋)


先日、友人に"mix channel"というサイトを紹介してもらいました。

このサイトを見ると彼氏彼女の仲良しっぷりを見せる動画がびっくりするぐらい多いんですね。だいたい8割〜9割がそういう動画です。

純粋に興味として、仲良し動画をUPするモチベーションってなんなんだろう?と思うわけです。

こういう自分のプライベートをシェアする動機として一番最初に思いつくのが自己顕示欲というか、簡単に言うと自慢的な動機だと思うんですよ。

自己顕示欲の強いさまを「かまってちゃん」と呼んだりするので、このような欲求を「かまってちゃん」的欲求と呼ぶことにします。

僕としては「かまってちゃん」と思われたくないので、気になるのが どこまでいったら「かまってちゃん」と思われるかなんです。

最近のアプリにはSNS共有の機能が多いので、余計に気になります。

僕の最近使っている「読書メーター」も「runtastic」もシェアします。

そういうアプリで共有するときに、僕も、ちょっと「かまってちゃん」的欲求も入った上で共有している部分があるんですよ。

そうすると、他の人から「かまってちゃん」と思われていないかなぁと思っちゃうんですね。

友人に相談した中で出た1つ基準は、「その情報を見ている人のことを考えているかどうか」というものです。

例えば、読書記録であれば、見た人がその本に興味を持ってくれて、その本を読んで楽しんでくれるかもしれない。

ランニング記録であれば、見た人が、よしっ自分もやってみよう!って思ってくれるかもしれない。

そういうことを考えて投稿するぶんには「かまってちゃん」ではないというものです。

これは非常に納得がいきました。

僕がランニング記録をシェアする理由としては、シェアすることで自分にプレッシャーをかけてランニングを継続しようという意図があるんで、そういうのもまた "非かまってちゃん"なシェアの形になりますね。


んで、この文章、実を言うと、しばらく前に書いた文章でブログに載せるタイミングがなくて、しばらく放置されていたんですが、昨日書いた「コミュ障を克服したアナは"会話の棋譜"が見えるようになっていた『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』」のエントリーに関連する話題なので、このタイミングで載せてみました。


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